夜と朝のあいだ

突然NU'ESTにズドンしたオタクのブログ

「会いたいのなら飛んでいくから」――NU'EST「A Song For You(Japanese ver.)」を聴いて

  電車の中で、思わず涙がこぼれた。

 わたしの見ているNU'ESTがそのまま、日本語の歌詞になったようだった。

 

 14日、日本での2枚目のアルバム「DRIVE」発売に先駆け、収録曲「A Song For You(Japanese ver.)」が配信された。

 

 実は、日本語バージョンを聴くまで韓国語バージョンの和訳をしたことも読んだこともなかった。

 ただ、NU'ESTが再始動してから初めて、しかもデビュー記念日に配信された曲、5人が作詞に参加した大切な曲、ファンであるラブに向けた想いの詰まった曲なんだろうということだけわかっていた。

 だから、「DRIVE」に収録されると知ったとき、5人がASFYを日本語で歌うことの意味を深く考えていなかったのだ。

 

 日本語で聴き、和訳と日本語の歌詞を比べてみたとき、韓国語で伝えていたことを生かしつつ、とても丁寧に歌詞を再構成している印象を受けた。

 

 中でも心に深く刺さったのは「会いたいと言うなら きみの前にいるよ」→「会いたいのなら飛んでいくから」という変化。

 この変化に深く感動した。このフレーズだけでも、ASFYをNU'ESTが日本語で歌った意味が十二分にあると思う。

 以下、感想を書いていく。

 

 変化した部分は、韓国語ではこういう歌詞だ。

「보고 싶다 말하면 네 앞에 있을게

 直訳すると「会いたいと言うなら きみの前にいるよ」。NU'ESTが「きみ」のためにとる行動は「前にいる」こと。

 

 「前にいる」にもいくつか種類がある。コンサートなど同じ空間を共有して実際に「前にいる」こと、画面を介し「前にいる」ことなど。

 

 「隣」とせず「前」としたところにNU'ESTの優しさを感じる。接し方の幅が広がるので、世界中のラブと一緒にいるよ、というメッセージを伝えられる。NU'ESTというグループの温度が伝わる素敵な歌詞だ。

 

 ただ、最初に和訳にあたったとき、前者の印象が強かった。物理的に「前にいる」ほう、隣にいると意訳できそうなほうだ。あくまでNU'ESTのいる場所は5人が生きている韓国で、そこで「きみ」のための行動をとるように感じた。

 

 韓国語で歌うということは主な対象が韓国のラブたちだから、当然といえば当然のことだし、これに対してネガティブな感情は一切ない。

 

 日本語ではこの歌詞が1か所変化している。NU'ESTのとる行動だ。

 

 韓国にいるNU'ESTと日本いるラブの間には物理的な距離がある。

 海を挟んでいるから徒歩や車など自力では国境を越えらないし、飛行機やフェリーを使うにしてもコストがかかる。日本のラブにとって、物理的に前にいてもらうことは簡単なことじゃない。

 

 そこで、「飛んでいく」だ。

 

 NU'ESTは「ラブじゃなくて、自分たちが距離を越えていくよ」と歌う。横たわる距離や、それに付随するさまざまなことを踏まえた歌詞に変えてくれたのだ。

 

 日本語で歌うということは、主な対象が日本のラブたちになるということ。どう聴かれるか、受け止められるか、自分たちと日本のラブたちの関係性は――。

 おそらく、そのようなことに向き合い、考えてくれたからこそ生まれた変化だと思う。

 その真摯な姿勢が、まさにわたしの思うNU'ESTで感動してしまった。

 

 新型コロナウイルスは収束の兆しが見えず、5人が実際に日本に来てコンサートを開催できるのはいつになるかわからない。兵役の二文字も頭の片隅にちらつく。

 でも、日本のラブに向けて「飛んでいくから」というフレーズを選んでくれたその気持ちがうれしかった。

 日本のラブがNU'ESTを想うように、NU'ESTも日本のラブを想ってくれているような感じがして、心があたたかくなった。

 

 もちろん直訳だと言葉がうまく音に乗らないとか、そうした事情もあるのかもしれない。本当のところはわからないが、こういう解釈をできるような歌詞に変えてくれた事実に変わりはない。

 

 NU'ESTが本当に素敵な歌詞を、わたしが、日本のラブが普段使っている言葉で歌ってくれる。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。今日くらいは思い上がるのも許してほしい。

 

 この1フレーズだけでも日本語バージョンのASFYを歌ってくれた意味があると思った。少なくとも、わたしにとっては意味深いことになった。

 

 日本のラブと同じように国境を超える必要があるラブたちの心も包んでくれる歌詞だと思うから、できるなら英訳した歌詞を読んでほしい。

 

 もちろん使う言葉が違えばまた違った表現になるだろうし、こういうふうに考えるのは傲慢な気もする。でも、そんな考えが浮かんでしまうくらい素敵だ。

 

 他にも、聞き手(=ラブ)の名付ける対象が「曲のタイトル」から「世界で一つの大切な想い」に変化していることも印象的。

 

 わたしは「世界で一つの大切な想い」を「愛」だと思っている。ファンダム名の「L.O.Λ.E」に掛けているのかな、と考えた。

 NU'ESTがラブに向ける想い、ラブがNU'ESTに向ける想いが「愛」という言葉の上で重なっていたらうれしい。

 

 この部分の変化については、2019年3月15日に配信した意味と、2020年9月14日に配信した意味、それぞれのタイミングで伝えたいことの違いによるものな気がする。

 ただ、言語化できるレベルまで考えが及んでいない。韓国語と日本語の歌詞をしっかりかみ砕く必要がありそうだ。

 

 最後に。

 「変える」ということについて、年末の歌謡祭などで既存曲に変化を加えていたことを思い出した。

 NU'ESTは「今、伝えること/伝えたいこと」に対していつも真剣に向き合っているように見える。よりよい作品を、という気持ちが根底にあるのかもしれない。(演出の都合上、必要に迫られてという理由の可能性もあるけど)

 

 変えなくても十分素敵だし、変えないほうが自分たちも楽なはず。それでも変化を加える。さらにすてきな姿でステージに上がる。そういうところが、とても好きだなぁ、と思う。

 

 自分たちの気持ちに対しても、聞き手に対しても本当にまじめなグループを応援している幸せをかみしめながら、この記事を閉じることにする。

 

 

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